不登校の部
ネスコムから不登校の方へ
現在高校生4万人 中小生20万人が不登校生です
- 学校の先生とあわない
- 校則規則になじめない
- いじめをうけたから
等の理由で不登校な子、集団で同一の先生から授業を受けるのに向いていない子もいるだろう。
- 一人でやる方がいい
- 人間関係に閉じ込められるのは嫌だ
- 居住区に応じた公立学校に行かねばならない。
等の悩みを抱える子もいる。
大学受験はどこからでもできる 高認テストさえパスすればよい。
①環境を変え自分自身をも直すことができる
②やりたいことを見つける時間と環境がある
③就職の選択肢が広がる。
④大学受験は長期戦だから進みながら調整していけばよい。
⑤自分の学力を知り特性と希望から調整していく。
⑦勉強体力は後からついてくる
⑧とにかく手を動かして勉強する
⑨教材参考書はアドバイスを受けながら決める。
こうして私は学校に行かない子の親になった
こうして私は学校に行かない子の親になった。
『笑う不登校 教育史出版会1999より』
家族は夫、私、息子二人の四人。子供が学校に行かなくなって4年。夫は単身赴任中で週末に帰ってくる。住まいは築五十年のアパート。部屋は狭いが敷地が広く、大きな木もあって子どもの遊び場には事欠かない。
子ども好きな大家さん。仕事のない時はギターを弾いている大工さん。歩行器でリハビリ中のおばあさんなどいろんな人がいる。子どもは大小取り交ぜ12人。
2月27日
朝から子どもと遊ぶ。夕方剣道の稽古。
2月28日
日曜。朝起きてテレビ。一日中友達と遊ぶ。
3月1日
月曜。朝8時。友達が窓の外から登校前の挨拶。しばらくゲームの情報交換。午前中留守番。落語のテープを聞きながらお絵かき、本読み、友達と遊ぶ。晩御飯の後、将棋。母が二人に本を読んで寝る。
3月2日
読書。キャッチボール。ハガキ書き。友達の家に行って遊ぶ。本当に感心するほど遊んでいる。でもこれでも本人は遊び足らんという。
平日は空いていて外出によい。子供か親が行きたいとおもった時に外出する。
基礎的な勉強に関しては此の四年間の子どもの知的成長を考えるにつき、今までの勉強は学校で習うものという固定観念はかなりの部分ひっくり返った。
一日何時間も机上の学習をする意味は? 漫画やゲームは勉強と対立しかしないのか?など次々疑問を感じるようになった。
うちの場合は一年生から学校に行かなくなったので少しだけよみかきの稽古をやってきたが、テキストといえば「ゲームの攻略本」「まんが」「スーパーのちらし」「地図帳」「新聞のスポーツ欄」等そこらへんに転がっている物で時間は20-40分。しかしその間に連想は次々と広がり、話しはいろんな方へと飛んでいく。
こんな勉強の仕方でもかなり新聞が読めるし、買い物の計算に困ることもない。
私たちは子供が日常の生活から、実に多くの事を学んでいることも気がついた。
遊んでいる最中に出てきた分からない言葉、ふしぎに思った事はごく自然に親に聞く。親はそれなり一緒に調べたりするが、これはどの親も小さい時から自然にやっていることだろう。
学校に行って当たり前に育った私たちには、こんな子供の育ち方があるとは夢にも思わなかった。
息子が学校をやめた理由
四年前私たちは息子を学校に行かそうとしてその幼い顔から笑顔を消してしまった。
七歳になった息子が理由も云わずにどんどんわけの分からない暴れ方をするようになったとき、これがいわゆる登校拒否だとすぐには理解できなかった。
私たちは息子の入学を前に京都から地方の小さな町に引っ越した。
豊かな自然の中で小さな学校でのんびりやれると考えていたが、期待は直ぐに裏切られた。息子はどんどん神経質になり、制服や給食の事で周りに合わせるのに必死になった。
目に見えて疲れ元気がなくなった。ちょっとしたことで手がつけられないほど暴れることが増え、私たちは途方に暮れた。
やっと息子にもう無理に行かんでええよと言う事が出来たのは二学期も終わりの頃だ。その後息子はパタリと暴れなくなった。しかし元気にはならなかった。
そして私たちは住み慣れた京都に戻ることにし、夫は週末に戻ってくる生活が始まった。幼馴染と思う存分遊びはじめた息子は、目に見えて元気になり、生き生きとしてきた。又よく笑うようになった。
イギリスの学校に行かない子どもたち
京都に戻って一年後、夫の仕事の関係で私たちは一年間イギリスで過ごすことになった。そこで学校に行かずに楽しそうに育っている沢山の子どもたちと会うことができた。
彼らとの出会いは、学校にこだわる人の無意味さや、子供が家でも当たり前に育つという事を再認識させてくれる貴重な体験となった。
イギリスでもほとんどの子どもは学校に行ってる。しかし子供が学校で幸せに過ごせないと判断した場合は、親は子供を退学させ課程で育てることもできる。
これをホームエデュケーション或はホームスクーリングという。きちんと法律で認められている。1988年現在全国で二万を越える家庭がこの方法で子どもを育てている。
ホームスクーリングを分けると、
1教科書を使い保護者が教師役
2在宅で講座を受けるラーニングアットホーム
3他のホームスクール生とともに講義を受けるアンブレラスクール
などがあるが、私たちもいくつかの集まりに参加して、いろんな親子と知り合いになった。
日本と一番違うなと感じたのは予期に着け悪しきにつけ、自分の子どもにどういう教育をするかは親が決めるという事だ。親の権利意識の強さだ。そして屈託のない子どもの明るさだった。
学齢期になると親は学校任せになり、不登校になれば子供は問題児扱いされて、否定的な目で見られる日本とは状況が決定的に異なる。
親しくなった家庭の状況を報告しよう
クレアの子どもは三人。九歳、七歳、二歳。夫は小学教師。帰宅は五時と早い。週末は彼女が働く。
ホームエデュケーションは、子どもの生まれる前から決めていた。
自分で経験して考えるということを大切にしたいから、テレビもほとんど見せない。まだ子どもたちが小さいから疲れるが、子どもたちとの毎日は楽しい。
お互い仕事も子育ても分担して子どもと離れ、自分の時間持てるようにしている。
ジュリアの長男は士官学校で寮生活。十一歳と九歳の子を家で育てている。
十一歳の子はいつも動いて何かしていないと落ち着かない子だったので、学校とは合わなかった。毎日のように近くの農場に出かけ、ボランティアで動物の世話をしている。
家に行くと庭でお父さんと一緒に作ったという立派な小屋を自慢げに見せてくれた。
自転車の修理ににも凝っていて、最近修理屋さんをはじめた。
ジョーの子どもは十歳と九歳の二人の子を家で育てている。
子どもたちと一緒に作ったという操り人形はプロ級。子どもたちは料理が得意でピザは大変おいしかった。
親戚には教師が多く自分の育て方にはあまり共感してもらえないとこぼしていた。
ルースはニュージーランドから来たばかりで三人の女の子がいる。十一歳と九歳の双子。
彼女は元教師。ラジオでホームエデュケーショを知り、自分もやってみたいと思った。上の子は少しばかり学校に通ったが、下の二人の子は全く行ったたことがない。
今はフランス語と乗馬を習うことが楽しい。上の子は新しい友たちが欲しいので学校へ行く。下の子はまだ遊びたいのでもうしばらく今のまま。
学校に行かずにに子どもを育てるのは、やはり大変な部分はある。周りがみんな理解してくれるわけではないし、自分の時間や仕事をけずらなければならないこともある。
でも彼らは言う。『最も素晴らしいのは、子供が幸せだと』いう事だ。
なおアメリカイギリスにはこの制度があり日本やドイツにはありません。
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